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あしあと

    【中止のお知らせ】子出来おんだ祭り

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    2022年(令和4年)は中止されます

    • 2月11日に開催予定の「子出来おんだ祭り(保田・六県神社)」は、新型コロナウイルス感染症の拡大抑止の観点から中止されることになりました。
    • 一部出版物には2月11日に開催と掲載されているものもありますが、2022年の「子出来おんだ祭り」は開催されませんので、ご注意ください。


    子出来おんだ祭りとは?(広報「川西」・2019年2月号から引用)

    日本人の生活は、古くから農業に支えられてきました。

    そのため、地域に伝わる祭りの多くは、農作物の豊作を祈ったことが起源とされています。中でも「御田植祭」は稲作の豊作を祈って行う祭りです。「田植」と名前にありますが、奈良では年始の2月(旧暦の正月)に行われるのが主流です。田遊びや田祭りなどさまざまな呼び方がありますが、近畿地方では「御田植祭」「御田(おんだ)」と呼ばれることが多いそうです。

    川西町保田でも、六県神社で御田植祭が行われていて、奈良県指定無形民俗文化財に指定されています。保田の御田植祭は、農耕の所作を再現した祭事が行われます。その中で、妊婦が産気づいて出産するという珍しい所作も取り入れられていることから「子出来おんだ」として親しまれています。

    子どもは嵐?

    行事に先立ち神職の神事と巫女の湯立てで厄払いをし「子出来おんだ祭」が始まります。拝殿の壁際には地元の子どもたちが座ります。行事は本厄の男性などが農夫役となり、「水見回り」「牛使い」「施肥」「土こなげ」「田植え」「田螺(タニシ)拾い」など農作業の所作を演じます。

    その間、子どもたちはずっとそわそわ。子どもたちには、1つの農作業ごとに「ぼちぼちやでー」「それいけー!」の声を合図に飛び出し、農夫に向かって飛び掛る仕事が待っています。農夫はその場にうずくまり、子どもたちはその背中に覆い被さります。すぐに定位置に戻されますが、拝殿は一時騒然となります。

    子どもたちのこうした所作は「風雨」を表し、それに耐えることで稲が強く育つとされています。

    出産を祝う

    次に、妊婦役の男性が登場します。化粧を施し白装束の懐に太鼓を入れて大きなお腹をしています。ネズミや蛙を避ける仕草をしながら、夫に弁当を届けます。その後、神主と世間話をしているうちに陣痛を訴え、お腹から太鼓が転がり出ます。

    神主がその太鼓を拾い上げ、「ボン(子ども)出来た。ボン出来た。」と周囲の人たちと一緒に囃しながら、太鼓を叩きます。

    最後に烏帽子をかぶった農夫が拝殿を回りながら種まき唄をうたい、周囲の人たちとの掛け合いで「よんなか(世の中)、よけれども福の種まこうよ」と囃しながら、勢いよく稲籾もみをまきます。

    中世から続く祈り

    祭りが終わると椿が配られます。椿は田の苗代に供えるとよいとされています。

    この祭りは一説には平安時代に起源があるとされています。川西町は4つの河川が合流する場所で、古くから水害に悩まされてきました。こうした厳しい環境の中、五穀豊穣や、地域や家庭の安全、子どもの健やかな成長や安産祈願といった子孫繁栄など、昔から変わらない願いが凝縮されて受け継がれてきた行事だといえます。




    保田・六県神社(川西町史(2004年3月発行)から引用)


    六県神社は保田集落の曽我川寄りに富貴(ふき)寺と境界を接して鎮座しています。明治24年(1891年)の「神社明細帳」(県立奈良図書館所蔵)の銘記によると、当社を村社とし、祭神は「高市命・葛木命・十市命・志貴命・山辺命・曽布命」の六柱とされています。現在は八幡神社を祀り、さらに字寺垣内にあった八坂神社を遷して合祀されています。江戸時代には「氏神」「六社権現社」と称され。享保9年(1724年)の「和州式下郡保田村諸色明細帳」(保田区有文書)によると「境内に拝殿・釈迦堂・羅漢堂・無本寺真言宗看坊富貴寺・門」とあり、富貴寺と神仏習合の関係にありました。


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