2.油掛地蔵と太子道
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あしあと
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油掛地蔵は、自治会の区域でいうと「北吐田」に位置し、大和川と寺川に挟まれた地域です。現在の大和川はほぼ直線に流れていますが、昭和40年代に河川改修されるまでは蛇行していたこと、多くの河川が合流する地点であり標高が低いことから、伝承のとおりこの周辺は常に水害に悩まされる地域でした。
また、このあたりの小字(昔の住所表記に使った地域名)を「湯」といい、油掛地蔵の「油」を連想させることから、油に由来した地名であるという解釈もあります。
油掛地蔵の前には、「太子道(筋違道)」と呼ばれる道路が通っています。
「筋違(すじかい)」とは、東西南北に道が通るように整備された都市機能(条里)の中に、例外的に存在する「斜め」を意味します。「筋違道」は、「斜めの道」と直訳でき、聖徳太子のために飛鳥と斑鳩を最短ルートで結ぶために整備された道のことをいいます。
現在、川西町で「太子道 (筋違道)」と呼ばれている道は、南北にほぼまっすぐ通っているので「筋違」とは結びつきません。これは、聖徳太子より後の時代に行われた農耕地の区画整理(条里制)の影響といえます。一方、三宅町の太子道周辺は、農耕地ではなかったので条里制の影響をあまり受けていません。そのため、三宅町内では、現在も「太子道(筋違道)」の名残を残しているところがあります。
三宅町に残る太子道から、延長線上に線を延ばすと「油掛地蔵」に当たります。このことから、現在では油掛地蔵の前の南北の道を「太子道(筋違道)」として整備し、皆さんに親しんでいただいています。
毎年11月22日には、『太子道をたずねる集い』が開催され、町外から多くの方々が訪れています。