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能楽・まめ知識 ~「四座一流」~

[2006年11月2日]

ID:188

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能楽・まめ知識 ~「四座一流」~

「座」とは?

猿楽は、「座」という組織を一つの単位として演じられてきました。「座」の中には現在の役割分担でいうシテ・ワキ・囃子・狂言など、能楽を演じるのに必要な人々がすべて含まれていました。

 

 

「四座一流」の確立

現在の5流のうち、観世・金剛・金春・宝生は、それぞれ「結崎座」「坂戸座」「円満井座」「外山座」として、大和(現在の奈良県)を拠点に活躍していました。総称として「大和四座」といいます。大和のほかにも丹波(現在の京都府)、近江(現在の滋賀県)などの地方にもいくつかの座がありました。

「大和四座」以外の座は室町時代末期から桃山時代にかけて勢いを失っていき、地方の座は「大和四座」の中に組み込まれてきました。

江戸時代になると能は、武家の式楽(儀式のときの音楽)として整備が進み「大和四座」は、観世・金剛・金春・宝生として流儀の体裁が整います。さらに金剛座から出た北七大夫長能が二代将軍・秀忠の寵愛を受け喜多流の創立を認められます。喜多が「座」ではなく「流」であるのは座付きの三役(ワキ方・囃子方・狂言方)を持たなかったためです。

これによって、観世・金剛・金春・宝生と喜多を総称して「四座一流」と呼ばれ体裁が確立しました。

 

「四座一流」の変遷

その中で観世は「四座一流」の筆頭として特別な地位を得ますが、将軍の好みによって各座の浮き沈みがありました。代表的なところでは、家康は観世と金春の役者をひいきし、秀忠と家光は喜多、綱吉は宝生をひいきにしました。特に綱吉の宝生ひいきは諸大名にも影響を与えます。加賀の前田家はこの時代に金春から宝生にうつし、後に「加賀宝生」と呼ばれるようになる基礎を築きます。

「四座一流」の主だった役者はいわゆる「幕府お抱え」となり、そのほかの能役者でも加賀・前田家のような有力大名に召し抱えられる者もいました。時代により多少の変遷はありますが、いずれも武士的な身分を保証されていました。

 

「座」から「流」へ
明治維新で幕府体制が崩壊したため、座は一様に「流」と呼ばれるようになり。自由に活動するようになりますが、その反面で保護を受けることもなくなります。